相談事

相談を受けることがとても多い。

昨晩も大学時代の友達から突然電話。

 

「結婚は出来ないからって言って別れたのに、SNSを見てたら自分は幸せになれないだの、どこどこに誰かと行きたいみたいなことをずっと言ってて…」

泣きながら話す彼女。

 

実のあるアドバイスをするでもなくただただ聴いていた。経験上こういう時は愚痴を言いたいだけで、相談したい訳ではない。

 

特に人生について誰かに何かを相談する場合、答えは各々持っている。

 

なんのために人に相談するか。それは話すことで自分の言いたいことを整理するため、話すという過程で蟠りを昇華するためだ。他人は鏡。自分の気持ちをある種他人に投影することで内面にあるものを反芻する。

 

そういえば振り返ってみると、こうして誰かにとっての止まり木であることは多い。多分共感するだけで何も言わない自分は鏡として勝手が良いのだろう。

 

しかし止まり木は止まり木に過ぎない。一時の嵐が過ぎれば去っていくし、ずっとそこにい続けることはない。

 

有能な鏡であるというのは、中身がないということと同義であるような気がする。

 

最近、誰かと一対一で話すということがとても苦手であるように思う。かつての彼女とはそういえばあまり会話をすることがなかった、というより話すことがなかった。受け止めるだけで投げ返すものが何もない、いわんや自分から何かを話すことはない。退屈な男だと思う。

 

私は何かの目的にそって意見を言うことは出来ても、自ら会話の中で目的を見つけ話すことをかなり不得手としている。航路のない会話ができない。

何か糸口が見つかれば良いが。